自動車学校に通ってたらひしひしと実感した教育

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きのです。

少し前、
免許を取りに自動車学校に通ってたんですが

通えば通うほど

というか

勉強すればするほど、
「これ、教育で使えるじゃん」

という発見があったので、
少し共有します。

そもそも

人が物事を”意識”するタイミング

言語化できますか。

これには
はっきりとした答えが存在します。

結論、
「当事者になったとき」

なんですが

車校(自動車学校)に通う前
僕には車の知識はもちろん皆無。

標識なんて意味わかんないし
保険だのなんだの知る由もないわけです。

別に車校だけじゃない。

料理をするときも、
スポーツをするときも、
お金を稼ぐときだって

事柄に触れる前までは

何の感情も抱かない

“意識しない”んです。

ただ、
標識の勉強を始め、

ちょっとずつ分かるようになると

友達と帰り道

「あの標識の意味は!?」
「駐停車禁止!!」

なんていう何気ない会話が繰広がります。

少し前までは、
標識なんて意識もせず
クイズを出し合うなんてもっての外

状態だったはずなんですが

知識をつけ始めた途端

気が付けば標識をみて、
運転してる人を見て、

「運転上手いな~」

とか考えてる。

車校に通いだし
運転する立場になったから。

「当事者になった」
から
「行動が変わった」

んです。

ここから言えることは

「当事者にすると人は意識を持つ」

もっと言うと

「当事者にすると人は行動が変わる」

この意識をもって
ビジネスに活かすと

結構やばいと思いませんか。

当事者にすると、
人が動くなら

してしまえばいい。

教育は
「人を動かし心を操ること」

ささいな教育だけでも
相手から行動を変えたくなる。

面白い発見でした。